30歳社畜4年目の自己実現

文系の大学院を卒業してIT業界に入りました。それで最近会社辞めたのでブログも移転しました。就活、IT、ダイエット、読書などいろいろなことを呟きます

大学院を卒業したのとこれまでの大学院生活を振り返って

先日無事に卒業することができました。 単位が確定する前日の夢で本当は単位が足りてなくて、留年が確定したという夢織2回も見てしまって うわあああとなりましたけど課題を提出した単位はほとんど取れてたので無事に卒業できました。 IMG_5089.JPG さて大学院生活ですがあまり思った通りに進めることができませんでした。 大学院修士過程で1番大事と言われる論文制作ですが、これの結果はCとお寒い結果に。 何故このような事態になったのか。またもしこれから先文系の大学院に進学するよという方がいれば他山の石として今回の記事を読んでください。 失敗したなと思う点その① 論文に取り掛かるのが遅かった。 割とこれが1番失敗した理由じゃないかと思ってます。僕は入学する際に研究計画書というのを書いたんですがあまりそれを変えずに勧めました。ですが、論文の根っこは同じですがフィールドワークする場所や団体などがちょこちょこ変わり、本格的にデータを集め始めたのが修士2年の11月ほど。 これじゃ満足いく結果を得るのは難しいと思います。 ですが、こうなってしまったのも就職活動が長引いてしまい、2年の9月まで活動を続けていてそれが原因のひとつとも思われます。 論文というのは集めたデータを書く作業はどれだけ短くても3ヶ月はかかると思ってください。 つまり良いデータがないと書くのにも時間がかかるわけです。 失敗したなと思う点その② 就職活動を始めるのが遅かった。 就職活動が始まる時期がだんだんと遅くなってきているようですが僕の頃は1年の10月あたりから始まっていました。ですが就職活動を始めたのは2年の4月頃からという余裕っぷりでした。 しかもうちの大学院は何か専門の知識を教わるということはないので、競争相手はたくさんいるフレッシュな学部生ばかり。彼らと競争をしつつ自己分析をして入りたい業界を決めてエントリーシートを書く。 これは就職活動を始める前に予めやっとくべきだったと思います。僕は学部の時は全く就職活動をしてこなかったため、大学院に入って始めてしてだいぶ苦労しました。 結果として決まったのは2年の8月頃なのでかかった期間は4~5ヶ月ほどでした。長さとしてはそれほど 時間がかかったとは思いませんが、そのすぐ後に論文制作が控えていたことを考えると、2年の夏までには文系修士の方は内定を決めておいたほうがいいと思います。 修士は2年間しかなく本来これにすべての時間を注いでもいい論文が書けるか分からないため、それ以外のことにかける時間は極力減らしたほうがいいと思われます。 ただし、修士の期間を3年にすると今度は就職がまた難しくなるので期間延長はアカデミックの道を極めるんだという方以外にはあまりお勧めできません。 失敗したなと思う点その③ ゼミの指導教授と研究した内容がうまく噛みあわなかった。 実はこれも結構大事なポイントでして大学の教授なら何でも知ってるだろうし、さらに専門的なことを教えてくれる大学院の教授なら何でも知ってるだろうと思ってる方が多いかもしれませんが、基本的に大学の教授は自分の専門のことしか興味がありません。 え?そうなの?と思われる方が多いかもしれませんが、大学の教授をなるというのはほとんどの方が学生を延長して論文を書き教授になるというパターンが多いわけです。その過程で様々な見聞は身に付きますが自分の専門以外は知識としては知ってるが論文としてどう書いたらいいかと言うことを指導できない人が結構います。 「授業なし・宴会だけ」に弁護士、一橋大と指導教授ら提訴ニュースな待合室出典 記事が消えていたためよそのブログのリンクを引用させてもらいました。 内容ですが 訴状などによると、佐藤弁護士は2002年4月、同大学院国際企業戦略研究科に入学。修士論文の指導教授の授業を受けようとしたが、この教授は02~04年度に一度も授業を開かず、各学期の初めと終わりに宴会を開いただけだったという。その後も指導を受けないまま、今年1月に修士論文を提出したが、不合格にされたとしている。 とありますけど、これだけ見ると何も指導しない大学院とかひどいと思うかもしれませんが基本的に指導してくれない教授は本当にノータッチです。 論文を指導してもらいたければ指導教官にアポイントを取って自分から話を聞きに行かないとダメなのです。 だから、何も教授に相談に行かなければ教授はこっちは問題ないと思い後で全く出来てないことが判明して愕然とするということがよくあります。 僕も教授に「どうすればいいっすか」と何度も脚を運びましたが「ん~君のやりたい通りにやればいいよ」と 言われよっしゃと思って書いたのが、査問でフルボッコされたという非常に苦い経験があります。 ただ、それも教授が悪いのではなく恐らくですが僕の研究してる内容が教授の専門と若干のミスマッチがあったのだと思われます。例えば社会学を教える教授がいたとしても実は社会学の○○という現象に詳しくそれについていくつもの論文を書いているが、都市文化論に関してはそれほど詳しくないとか、もちろん逆のパターンもたくさんあります。なので指導教官というのは入る前にしっかり決めておくこと。また前もって相談することというのが文系の大学院において最も大事なことじゃないでしょうか。 僕の場合ですが、指導教官は先ほど言ったように自由放任にさせる方でしたので、副指導の教官を割と研究内容に近い方にしてもらったのですが、その方が1年ほどで退任されてしまったので新しく副指導の教官を決めたら どうやらあまり僕の研究分野と被ってなかったという失敗がありました。 なので指導教官、副指導教官はしっかり考えて選んだほうがいいです。 うちの大学院だけかもしれませんが、口頭試問の時は3人いてその中の2人は指導教官と副指導教官ですので、これまで君の好きなようにしなよと言って適当に書いた論文をいざ目の当たりにして烈火のごとくダメ出しされるということも僕を含め何人かいました。なので指導教官とのコミュニケーションというのは大事だと思われます。 失敗したなと思う点その④ 先輩や他の大学の院生と情報共有ができなかった 先ほど全てあげたような内容はおそらく先輩に話を聞けば、前もって教えてくれるものだと思います。 ですが不幸なことにうちのゼミはあまり交流がなかったため上記のことに気づいたのは論文を書き終わってからのことでした。大学院に来られる方は様々で変わった方や社会人も多いためコミュニケーションが出来ないということが結構あると思います。別に喧嘩をしていたわけでもないですが文系の大学院は同じゼミでも研究内容が違いあまり関心を持てない、教えてもらえることができないということもあります。 その場合はゼミだけでなく他ゼミに話を聞いたり似たような研究をしている大学院の教授に話を聞きに行き、ゼミに参加させてもらって交流をすべきだったと思ってます。 やはり、情報を共有するということは大事ですし大学院生が失敗する壁というのは皆共通のものだと思ってるからです。僕も自分の書く論文の先行研究を行っていた方にアポイントメントを取り、お話を聞かせてもらいに行ったりしました。 大学院というのは閉鎖的な存在ですのでよその大学院がどのようなことをしているという情報が全く入ってこないことが多いので、こちらの事情を話ししたりすれば向こうも同じような悩み相談など出来るかもしれません。 理想としては同じ研究対象を他大学の方とチームを組んでデータを集めることが理想なのですが。 やはり一人では独自的で豊富なデータを持つ論文を書くというのは難しいと思います。 以上を持って大学院で失敗したなと思う点を挙げてみました。 ほかにもいくつかあったと思いますが、ぱっと思い浮かぶのが上記の4点です。 大学院というのは学部の時より時間があり取る単位も少ない分、大学に行かなくても全く問題ないので自主性というのが問われる場所だと思います。なのでこれから大学院に入ろうと思われる方、現在修士1年の方は計画を持った大学院生活をお勧めします。 とりあえず18歳から大学に入り27歳で大学院を修了して10年にわたる学生生活が昨日終わったことを考えると少し感慨深いですが、これからは社畜になって働きたいと思ってます。 27歳文系修士のモラトリアムですがもうモラトリアムが終わったためこのブログもどうするか考えようと思ってます。わずかな期間ですが覗いてくれていた方ありがとうございました。