論文と文系院生
先日会社の内定式の飲み会で酔いすぎて「この会社でトップとります」と言ってしまった気がして割と本気で死にたいですこんばんは。
さて以前の記事では大学院生には二つの壁があると言うことでしたが、以前は就職をさくっと
語ったので今回は論文の方について語ってみたいなあと思います。
就職はまあしなくても死にはしませんが(社会的に死ぬかもしれないけど)修士論文は書かないと
卒業できないわけなのである意味これができないと意味がない。ほかの授業の単位をいくら取ろうと
卒業させてくれないので大学院生的に言うと書けないと死んでしまいます。
しかし書けないからと行って履修を2年から3年、4年に伸ばすと(長期入院とも呼ばれる色んな人から大丈夫なの?と心配される)これまた社会的に死んでしまいます。
理系はどうか分かりませんが文系の大学院は入学する前に研究計画書というものを出して
それがその院に適するかどうかを判断されて入学することができます。
中には英語の試験や軽い小論文のようなものを書かされるとこもあるみたいです。
うちの大学院は研究計画書と小論文の提出で入学できました。
そしてその研究計画書に沿った論文を書く必要があるわけです。
ただ入学する前と実際に提出するまでにコロコロ変わる人が多く卒業しなければいけないM2の夏
にテーマが変わるというのがザラにあります。
僕のゼミでも大学の地方における社会的貢献から工場夜景のツーリズム的観点から英語教育と留学生の意識調査みたいにコロコロ変わる人がいました。
修士論文(しゅうしろんぶん)とは、大学院及び一部の専門職大学院に所属する、主に修士課程または博士前期課程最終学年の大学院生が、課程の修了にあたって研究の成果として提出する論文のことである。略称は「修論(しゅうろん)」と呼ばれ、他にマスター論文と呼ばれることもある。
かっこいいですね。マスター論文ですよ。何をマスターしたのかわかりませんが、一応僕は大学院を卒業するとマスターベーションを名乗っていいわけです。
ただ修士論文となると学部よりもう少し踏み込んだ内容が欲しいのも事実です。
例えばですが地域の美術館がどうソーシャルキャピタルを形成するかという内容だとしたら
学部の頃はこうした地域の美術館(直島にあるベネッセ集団)により人を集めることができ成功した。
だとすると修士はこれにプラスアルファ。例えばプラスの面だけでなくマイナスの面も探してそれを
自分なりに論文に書き落とす必要があります。
グーグル先生によるとこれが修論と卒論の違いらしいです。
明らかに修論の方が難易度が上がってますね。卒論はよっぽどのことがない限り落としませんが
修士論文は学者の入口の入口くらいの体裁はとってるので学術的に独自性がないと評価されないとか。
さて問題意識の研究ですが。基本的にXが増大すればYも増大するもしくは変化するというのが好ましいといわれてます。理系の実験ならXに温度などを当てはめればYが増えると考えればわかりやすいですね
しかし、僕が専攻してるのは社会学系統なのでXとYに何を当てはめればいいかすんなりと分からないことが多々あります。
Xに原因要因を入れて一見Yが変化したように見えてもそれは複合的な要素なのかそれとも全く違う要素なのかというのははっきりと分からないわけです。
これはある教授が工場の証明を明るくすれば作業効率上がるんじゃね?(仮説)と思ってある工場に
頼んで実験させてもらったのです。すると結果は見事効率が上がりました(結果)
普通ならこれでよかったよかったと終るとこですが。論文というのは成功した場合だけじゃなくて
数値で判断しなければなりません。つまりこの場合だと明るくして作業効率が上がったのなら、暗くすれば
作業効率が下がるはずだと思ったわけです。
そして実際に証明を暗くして実験してみたらなぜかこの場合も作業効率が上がったわけです。
僕ならこの結果を見なかったことにしたいのですが、学者というのはそうはいかないわけで、ほかに要因があるはずだと調べたところ、予想もしない結果が出ました。
何かというと工場でグループごとにいるリーダー的ポジションの人が「今日は偉い学者さんが何か実験にうちの工場に来るわけだからみなさん頑張りましょう」というまさに見えない要因があったわけなんですね。
ここから新しい経営管理の理論ができたわけです。
つまりこのように一見関係ない物事にこそ真理があるわけでここを僕は探さないといけないのですがなかなか難しくてこうやってブログで現実逃避をしてるわけです。
最近映画感想も書いてないのでまた今度は映画感想とか書きたいと思います。
修論の締め切りは1月。それまでに5万字を書く必要があるのですが11月20日の段階でまだ0。
はたして間に合うのでしょうか